Workflowyの「軽さ」について考えた

2026-04-21
workflowy, 考えごと

私はObsidianやCosenseよりも、DynalistやWorkflowyのほうがたくさんメモを書ける。最初は箇条書き&折り畳めるアウトライナーという形式が自分に合っているからだと思っていた。

でも、DynalistよりWorkflowyのほうがさらに書ける。同じアウトライナーなのに、なぜか。Workflowyには独特の軽さがある。

Workflowyをはじめアウトライナーで新しい項目を追加するとき、何かを「作った」という感じはしない。

Enterキーを一度押す。それだけだ。カーソルが次の行に移り、そこに文字を打ち始める。作成したという感覚はなく、ただ続きを書いたという感覚しかない。

技術的に見れば、この瞬間に固有のIDを持つデータが1つ生まれている。ObsidianのMarkdownファイルや、CosenseのページがそれぞれIDや名前を持つように、Workflowyの1項目もデータとして独立した存在だ。

でも、そうは感じない。

最初、この軽さはファイル型ツールとの比較で説明できると思っていた。ObsidianやCosenseで新しいページを作るとき、必ず「名前を決める」という動作が挟まる。その一瞬に、思考は「今から何かを新しく作る」という方向に向かざるを得ない。これが書き始めのコストになっている、と。

でも、その説明では不十分だ。

ObsidianやCosenseでも、InboxやDaily Noteなど書き始めるページをあらかじめ用意しておけば「名前を決める」コストはほぼ消える。1書き始めるハードルという意味では、Enterを押せば良いという点でほとんど同じ条件になるはずだ。

なんなら自分もWorkflowy上にInboxやデイリーのノードを作って、そこに書きつけている。構造的には先の例と変わらない使い方だ。

それでもWorkflowyのほうが軽く感じている。

この差はどこから来るのか。

おそらく、Workflowy上のInboxやデイリーノードが、その中の項目と存在のレベルが同じだからだと思う。

ファイル型ツールでは、ファイル(とそのタイトル)は「入れ物」でコンテンツは「中身」という階層がある。この2つは異なるレイヤーに属している。でもWorkflowyのInboxノードは、その下にぶら下がる項目と同じ素材でできている。入れ物と中身の区別がない。

だから、Inboxと同じ階層に項目を移動することも、インデントを変えるのと同じ操作で済む。ファイルをまたぐわけでも、特別な移動機能を使うわけでもない。

どこに置いても、格が変わらない。

ファイル型ツールでは、ファイルの境界は「越えるもの」だ。別のファイルに移るとき、何かをまたいでいる感覚がある。意識の端に、つねに「どのファイルにいるか」が残っている。DynalistやLogseqがアウトライナーでありながらDocumentやPageという単位をもっているのも、同じ理由で微妙な境界を生んでいる。

「デイリーで改行して新規メモ作成」という入口は同じでも、ファイルとコンテンツという境界は存在し続ける。

Workflowyにはその境界がない。Inboxだろうとデイリーだろうと、それはただの項目であり、他のすべての項目と同列にある。ズームアウトすれば、Inboxも木の中の1ノードに過ぎないことが見える。壁がなく、ただインデントがあるだけだ。

この格の平等さによって、「1つの大きなアウトラインを操作している」という感覚がうまれる。

そしてその感覚があるおかげで、「どこに何をどれだけ書いても、ファイルが増えるわけではなく、アウトラインの中で同じ素材のものを1つ増やしているだけ」と感じ、新しい素材を増やすことへの心理的ハードルが下がる。

それが今回考えたWorkflowyの軽さの正体だ。


  1. そしてそこから選択して書き出す機能も備わっている。