前の考えごとから、「発見とは何か」が気になってきた。
辞書的に言えば、発見とは
まだ知られていなかったものを見つけ出すこと。また、わからなかった存在を見いだすこと。
via: デジタル大辞泉 - コトバンク
とされる。
この定義を、個人の思考に引き寄せてみると、
とても重要なポイントが見えてくる。
発見とは、
これまで見えていなかった「何か」を、
あるものとして認識したこと
なのではないか。
ここで言う「何か」は、
結論である必要も、完成した理論である必要もない。
ただ、「あ、これはそういうものだ」と、
対象として立ち上がった、という感覚があるかどうか。
思ったことの多くは、この段階に至っていない。
ただ通り過ぎるだけの反応であり、
まだ「あるもの」として認識されていない。
だから、発見カードにする気が起きなかったのだと思う。
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この問いを考えているうちに、『知的生産の技術』を想起した。
梅棹忠夫は知的生産を、
頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出すること
と定義している。
発見は、知的生産そのものではない。
けれど、知的生産の原材料であることは間違いない。
発見がなければ、提出する中身がない。
そう考えると、発見は「新しいことがら」を生む最小単位なのかもしれない。
とても小さく私的で、未完成なもの。
しかし、確かに「あるもの」として認識されたもの。
それ以上でもそれ以下でもない。
発見はゴールではなく、入口だ。
そして、その入口が見えたときだけカードに残したくなる。
たぶん、この感覚を大切にしていれば、
発見カードが少ないことを、
それほど気にしなくて済む気がしている。
考えごとは続く。
でも、発見は、ちゃんと起きている。
参考: