特にChatGPTやNanoBananaのアニメ調人物画の"あの感じ"は萎え度高い。
私も生成AI自体はめちゃくちゃ使ってるし、なんならAIが生成した画像もアートになりうると思ってる派なのに、なぜだろう。
AI製サムネを採用した記事で内容の薄っぺらさにがっかりした経験があり、だからそういった記事じゃないかと予想してしまう?
それとも、こだわりのない生成AI製の画像のダサさに気づかない、もしくは頓着しないセンスが伝わってきてしまうから?
ま、そういうのが気にならない人もたくさんいて、そういう人に向けて書いてるんだろう。
"あの感じ"に慣れ親しんだ人は違和感ないのかなぁ。それともあまり目にしてないからこそ気にならないのか?
個人的には適当なAI製サムネの記事より、サムネ無い方が読む気起きるんだけど、PVやインプレッション等の数字が良化してる結果が出てるのかねぇ。まぁ何も無いよりは目は引くもんな。
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ここまで書いてきて、キュレーションとかバイラルって言葉が流行ったときに増えた、「いかがでしたか?」みたいな文言で締めるブログに対する感覚と似てると気づいた。
量産型っぽいものへの気持ち悪さというか、個人のメディアでわざわざそれやらんくても良くないかっていう。
雑なのはいい(このサイトだって雑だ)んだけど、外側だけ整えてある風にしてあって、それが沢山流れてくるのがなんか嫌だったんだよな。
サムネ画像にしても"あの感じ"が嫌なのに加え、それをしている人が沢山いるということへの反発心もあった。
自分が個人メディアに求めてるのは、雑でもいいからその人にしか出せないものだったんだな。